本当に全てを見て、全てが見えているのか
最近、立呑み(&ひとり呑み)にはまり、これまでとは違う系統の店によく行くようになった。
すると、今まで気付かなかった店に気付くようになるから不思議だ。
先日も、十何年もの間、殆ど毎日のように通っていた道で、それまで全く気付かなかった店なのに、立呑み(&ひとり呑み)に興味を持った途端、まるで突如現れたかのように目に入ってきた店があった。
それはつまり、人って、どんな興味関心事があるか、どんなアンテナが立っているかによって見えるものが違ってくるということだろうと思う。
全てを見ているようで、
全てが見えているようで、
結局は自分の見たいものしか見てないってことではないだろうか。
いずれにせよ、年齢を重ねてからでも、興味関心が広がることで、新しい世界が見えたり、視野が広がったりすることがあるということ。
それはとても素晴らしいことだと思う。
という訳で、さらに視野を広げ、新しい世界を拡げるために、今日はどこに呑みに行こうかな。
って、単に飲みたいだけ?